伯夷叔斉列伝

作者名  司馬遷(ca.145B.C.-ca.86B.C.)
作品名  「伯夷叔斉列伝」
制作年代  
収載書名  『史記』
訳者名  水沢利忠
訳書名  『新釈漢文大系88 史記 八』
刊行年代  1990
 その他  
 伯夷・叔斉は孤竹君の二子なり。父、叔斉を立てんと欲す。父卒(しゅつ)するに及び、叔斉、伯夷に譲らんとす。伯夷曰く、父の命なり、と。遂に逃れ去る。叔斉も亦、立つことを肯(がへん)ぜずして之(これ)を逃る。国人其の中子を立つ。
 是に於て伯夷・叔斉、西伯昌の善く老を養ふを聞き、盍
(なん)ぞ往きて帰せざらんといふ。至るに及び西伯卒す。武王、木主を載せ、号して文王と為し、東のかた紂(ちゅう)を伐つ。伯夷・叔斉、馬を叩(ひか)へて諌めて曰く、父死して葬らず、爰(ここ)に干戈に及ぶは、孝と謂ふべきか。臣を以て君を弑(しい)するは、仁と謂ふべきか、と。左右之を兵(う)たんと欲す。太公曰く、此れ義人なり、と。扶(たす)けて之を去らしむ。武王已に殷(いん)の乱を平らげ、天下、周を宗(しゅう)とす。而るに伯夷・叔斉之を恥ぢ、義もて周の粟(ぞく)を食はず。首陽山に隠れ、薇(び)を采(と)りて之を食ふ。餓ゑて且(まさ)に死なんとするに及び、歌を作る。其の辞に曰く、
   彼の西山に上り、其の薇を采る。
   暴を以て暴に易
(か)へ、其の非を知らず。
   神農・虞・夏、忽焉
(こつえん)として没(お)はる。
   我安
(いづ)くにか適帰せん。
   于嗟
(ああ)、徂(ゆ)かん、命之(こ)れ衰えたり。
と。遂に首陽山に餓死す。
 詠いこまれた花   ノエンドウの仲間またはゼンマイ
 紀元前11世紀、殷周交替期に現れた「義人」のエピソード。
 ○孤竹 現在の北京市の東方にあった国。
  伯夷は「兄の夷」・叔斉は「弟の斉」。兄弟の序は、伯・仲・叔・季で表す。
 ○西伯昌 殷によって「西伯に封じられた昌」、すなわち周の文王。
  武王  周第1代の天子。紀元前1050年ころ牧野
(河南省)の戦いで殷を滅ぼし、周の国を建てた。
  紂   殷の最後の天子。
  太公  周の文王・武王に仕えた賢臣。
 ○首陽山 山西省永済県にある山。
 ○周の粟を食はず 粟は穀物(五穀を見よ)。文意は「周の禄を食まない」。
 ○薇  この薇がどんな植物であったのかについて、古来議論がある。
     一説にゼンマイ。日本では、古来ワラビと訓むが、ワラビは蕨。
     一説にノエンドウの仲間
 ○神農虞夏 いずれも、古代の伝説上の天子。



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